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亡き母の思い出「カビの生えたマーマレードジャム。」

2月10日未明に私の母が息を引き取りました。

そのためにお休みをいただき、13日通夜、14日葬儀を執り行う事ができ、無事、見送る事ができました。

この場をお借りして、感謝申し上げます。

母は11年前に脳梗塞を患いましたが、持ち前のバイタリティーでリハビリに励み、軽い麻痺と記憶障害が残る程度にまで回復しました。

母の気力と体力に期待し、1人で留守番させていましたが、最初の脳梗塞から4年後の2013年夏に再び脳梗塞を患い、症状が悪化。

運動障害と認知症が酷くなり、もう1人で家に置くことは無理と判断し、デイサービスを利用しながら兄の自宅で介護することになりました。

そして1昨年の2018年に兄の結婚を機に母を施設に預けておりました。

しかし昨年の11月に1人でトイレに起きた時にトイレ内で転倒し大腿頸部骨折。

病院に搬送されて手術のため入院。

手術は無事すみ、さぁそろそろ退院という頃に尿道炎になり、それから容態がみるみる悪化、食事をほとんど受け付けなくなりました。

病院で出来ることはないということで今年の1月末から施設に戻り療養を続けておりましたが、衰弱するばかりで、急遽、意識があるうちに身内が集まり、面会を済ませた翌日から昏睡状態。

9日夕方、私が訪れたときは、母の意識はなく口を開けて鼾をかいて寝ておりました。

しばらく傍にいましたが目覚めることなく、その場を後にしました。

その数時間後の10日未明に母はそのまま息を引き取りました。

母は豪快で曲った事が大嫌いな人でした。

学校の掃除婦として働いていた頃、掃除しているのに便所に入ろうとした教師にブチ切れ水をぶっかけたり、トイレでタバコを吸う不良生徒を注意し、生徒から「うるせぇ糞婆」と言い返されると「糞だけ余分だ!このクソガキ」と言い返し、モップで相手をぶっ叩いて怪我させたり、お手伝いさんをしていた時は、態度が悪い訪問先の子供の顔をぶっ叩いて馘になったり、震災の時に水を買い占めていた婆さんの襟首掴んで「テメェそんな水買って何年生きるつもりだ、とっととくたばれー」と怒鳴りつけたりと、色々話題の絶えない人でした。

そんな母の葬儀が終わり、遺品を整理していると、1回目の脳梗塞(2009年)から2回目の脳梗塞(2013年)までの4年間に母がノートや広告の裏に書き綴っていた日記が見つかった。

脳梗塞後、日付の区別が怪しくなりつつあったので、ボケ防止に目につく紙やノートに日付とその日の出来事を覚えている限り書き綴っていた。

それを読むとどの日記にも必ず「寂しい」「やる事がない」「不安」「子供に迷惑をかけたくない」「ババア頑張る」と言った文字が綴られていました。

日記からは一人で寂しく不安だったが、それでも子供に迷惑をかけまいと無理をして明るく強気に振る舞っていた母の本当の姿が伺えました。

母は自分が実家に帰る日を忘れないように日記に記していました。

しかし会う約束をした当日、自分は同じ話を聞かされることにうんざりし、行くのが面倒になって、適当な理由をつけてキャンセルしていた。

電話口で母は「お母さんは大丈夫だから体に気をつけな」と言ってくれていた。

しかしその日の日記には「カズが来れなくなった、やる事がないし寂しい、今からマーマーレードのジャムを作って今度来たときに持たせる。これから買い物に出かける。」と書いてありました。

そして母は私のためにマーマーレードジャムを作ったのだが、なんのために作ったのかを忘れてしまい、そのまま保存する事2年の間にマーマレードにはビッシリとカビが生えていました。

食品が多すぎて冷蔵効率が悪くなっていたので、冷蔵庫の中を自分が片付けることになったとき、カビの生えたマーマーレードジャムが入った瓶が大量に見つかった。

自分は「カビの生えたジャムなんか捨てちまえ!」と言って瓶の中のマーマーレードジャムをゴミ袋に空けようとすると、母は泣きじやくりながら「食べられるもん!」と言ってカビの生えたジャムを手ですくい、びんに戻そうとしていた。

その手を叩き、ジャムを捨てると地団駄踏んで泣いていた。

その時はただボケてカビが生えたこともわからずにゴネているだけと思っていたが、今なら、なんであんなに泣いていたのがよくわかる。

母はジャムを作った目的は忘れたが、作っていたときの思いは覚えており、それを渡すはずだった自分に無残に捨てられたことを悲しみ怒り、泣いていた。

そのときの恨み節も日記に綴られていた。

自分は、母がボケて意地になっているだけだと思っていた。

だが自分にとって単に厄介でしか無かった行動の裏には母なりの強い思いがあり、それが全て自分に対する思いやりだったと気づいたとき、通夜でも葬式でも感じた事が無かった激しい喪失感と後悔の念で嗚咽し、涙が止まらなかった。

結局、「ありがとう」を伝える事が出来ぬまま、母は逝ってしまい、後悔だけが相続した誰も住まない家のように残された。

今更悔やんだところでなんの意味もないのだが、いつか後悔が思い出に変わるまで、使い道もなく捨てる事もできずに暫く心の奥底に残り続けるだろう。

藤田 和広

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藤田 和広

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