駅を降りて踏切を渡り、写真と見比べながら周囲を見回すと当のアパートは意外なほどあっさり見つかった。
アパートのドアのへ近づき、5メートルほど手前まで来たとき、突然何か強烈な殺気を感じたように項が総毛立ち「被害者の女性はここで殺される前からとうに死んでいた。彼女は自身の生死とは関係なく今も客を引いている。」と感じ、それ以上前に進めなくなった。そのまま後退りするようにその場を離れた。
凶暴な肉食獣から逃げるように、ある程度距離を取ってからドアに背を向け、踏切を渡って、逃げ込むように駅前の「カフェ・ド・ラ・フォンテーヌ」に入り、メニューも見ずにコーヒーをオーダーした。
被害者は生前カフェ・ド・ラ・フォンテーヌでコーヒーを飲みながらアイシャドーを引いてたと本には書いてあった。彼女はここで夜の女になっていたわけだ。
春先で暖かい陽気だったにもかかわらず、私の体は冷え切り、ホットコーヒーを2杯飲んでも寒気は止まらなかった。
ようやく温まる頃、外の日は落ちかけていた。
夜が近づくとこの街は昼とは全く違った顔を見せる。昼のお客は夜ではカモでしかない。私は神泉駅から電車は乗らずに渋谷駅目指して箱型ヘルスやラブホに挟まれた狭くて急な階段を登って渋谷を目指した。
高台にある円山町から振り返ると神泉駅は谷の底にある。そこからまた谷底にある渋谷駅まで、大勢の客引きや、カップルたちとすれ違いながら坂を降った。
そんなことを思い出しながら、仕事終わりに寄ったソウルミュージックが流れるカフェバーでこの本を読んでいた。
本のページを捲るたびに忘れかけていた、殺害現場となったアパートの玄関の佇まいや、京王井の頭線の踏切の音、迷路のように入り組んだ細い路地、フードダクトから吐き出される油の匂いや街に漂う消毒液の匂いやドギツイ香水や安い石鹸の匂いまでもが思い出される。
自宅にいながら路地裏に漂う淫靡な雰囲気を味わえる事間違い無しだ。