仕事をサボって「山の上ベーカリー」でランチを食べた後は、再び京浜急行の下り鈍行電車に乗り込み、4駅先の浦賀を目指した。
次は浦賀港を横切る渡し船(ポンポン船で)「浦賀の渡し」に乗る。
浦賀の渡しは「横須賀風物百選」になっていて地元では有名な渡し船だが、横須賀に生まれ育ち、浦賀造船所に勤めたこともあるが「浦賀の渡し」に乗った事はない。
11月3日に横須賀に訪れた時に折角だから乗っておこうと思い立ち、浦賀の渡しの船着場に来たら、先週の台風で艀が壊れたらしく5日まで欠航していた。
その模様はこちらの動画→Vlog 浦賀の渡し。残念故障中
仕方なく11月6日の今日、リベンジにやって来た。
浦賀駅から朽ち果てたクレーンを横目に浦賀港沿いの道路を久里浜方面に向けて10分ほど歩くと、土蔵風の船着き場に着く。
船着場に着くと自販機とベンチがあるだけで浦賀の渡しは時刻表はなかった。
船着き場でいくら待っても船は来ないから、うろうろしていると沖に船が停まっているが、うごくけはいがない。
よくよく船着場の入り口をみるとインターフォンがあり、船に乗りたければインターホン押して、沖に停泊している船を呼ばないと来ないようだ。
インターホンを押すと沖に停まっていた船がゆっくりこちらにやって来る。
船が到着するまで艀で待とうと思ったが、これがまたよく揺れる代物で、船が近づき波が立つと余計に揺れて怖いから丘の上で待つことにした。
船は寸分の狂いもなく艀の乗船場にピタリと停まり、ぶつかって揺れたりしないから凄い。そのまま船に乗り込み、トレーに乗船賃の200円を置いて座ると、船長が発車を告げ、船は水の上を滑る様に走り出す。
船の上から浦賀ドッグの方を眺めると、薄緑色をした造船所の建物が夕日に照らされていた。
私が務めていた20年以上前には建物が何棟もあったが、2003年に住友造船が追浜に移ってから、徐々に取り壊されて今は1−2棟を残すだけ。造船所の衰退共に浦賀の街もみるみる寂れていった。
1994年年末から年始にかけて設計のアシスタントとして出向して浦賀造船所に務めていた。
空っ風が吹きすさぶ冬にドカジャンと安全靴姿で自衛隊の船に乗り込んで、図面片手にダクトを探し回り、風量計で風の強さを測ったり、ダクトの大きさをメジャーで測ったりと、毎日船の中を走り回っていた。
使いっ走り仕事が終わると給茶器の熱くて渋いだけの緑茶が入った紙コップをかじかんだ手で包むようにして持ち、鼻水垂らしながら飲んでいた。
浦賀港の思い出はとにかく風が強く浦賀港は寒かったこと、そして浦賀港から吹き込む風が油と鉄臭くて、何を食べても鉄と油の臭くて不味かった。
当時、丘から寒さに震えながら眺めていた浦賀港を今日はポンポン船に乗って海の上から眺めている。まだ暖かい陽気のせいか潮風は昔ほど寒くなく、風も油と鉄臭さがなかった。
船に揺られること3−5分ほどで浦賀港を横切り反対側へ着いた。
船長は徐々に減速し、艀に全くぶつける事なくピタリと乗船場に停めた。自分を下ろすと船は夕日で赤く光る海へを滑るようにゆっくり沖の方へと帰って行った。
船着場から浦賀駅まで歩き、電車に乗って家路につく。
途中、乗り換えで降りた堀ノ内駅のホームから、夕焼けを背にぼんやり浮かび上がる富士山のシルエットを拝むことができた。