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コロナの影響で治療院は暇だったのですが、せっかく暇だからと色々新しいことを始めていたらすっかりブログの方がご無沙汰になっていました。
4ヶ月ぶりの投稿は多分今年初めての本の紹介。
今回紹介するのは本ではなく、25年以上前にサブカル系月刊漫画雑誌「ガロ」で連載されていた著者が「友沢みみよ」の漫画「いもほり」です。
この漫画は今年の6月、下高井戸シネマへ映画を観に行った時に、時間潰しで寄った古本屋で購入した。
可愛い子供が「いもほり」に興じている姿が描かれたカバー写真だけ見れば、ほのぼのした漫画に思えるが、表紙とは裏腹に大人のエロと暴力の悍しいさを子供の無邪気な視点で残酷に描かれた1話完結のショートストーリーが多数収録されている。
あらすじ
収録作品の中で私が個人的に好きな「水蛭子さん(ひるこさん)」と「ききみみずきん」の二作品を簡単に紹介します。
おそらくその内容だけ読んで頂ければ「いもほり」がどれだけイカれているのかご理解いただけると思います。
「水蛭子さん(ひるこさん)」
ある時、川辺を歩いていた女の子が川の上流から流れ着いた籠を拾うと、その中には赤ちゃんがいた。
赤ちゃんは両足が極端に短かったので、女の子は驚き、赤ん坊を地面に落としてり踏んづけたりして拒んだが、次第に愛着が湧きその子に「水蛭子(ひるこ)」と名付けて育てた。
女の子は「水蛭子」の短い足を長くしようと赤ん坊をイモや大根のように胴体まで土に植えて、水や肥料の小便をかけて育てる。
時が経ち頃合いを見計らった女の子は赤ちゃんを土から引っ張り出した。すると足が長くなる代わりに短い足の先端から根っこが生え、そこに芋が鈴なりに育っていた。
それを見た女の子は驚き、不憫に思いながらも再び赤ん坊を籠に入れ川へ流した。
「ききみみずきん」
UFOを研究している二人組の子供が空へ向かっておっさんが「カーッ」と痰切をすると必ずUFOが現れること発見し、おっさんの後を尾行する。
2人の子供は今まさに痰を吐こうと「カーッ」とやっているオッさんの頭を鈍器で殴り、研究所へと拉致し、オッさんの体を縛り上げ、頭や手や鼻に色んな計器やチューブを取り付ける。
身動き取れない状態でオッさんが目覚めると子供たちから「カーッとやれ!」と痰切を強要され、仕方なくオッさんは空へ向かって「カーッ」と痰切りする。
2人の子供もオッさんの音に合わせて3人で痰切りすると痰切りの音が同調してさらにら増幅され空からUFOが現れる。そしてそのままUFOに乗って子供達は空へ飛び立つ。
収録されている漫画はどれもこんな感じのものばかりだ。
「いもほり」を紹介してくれた「Nさん」
この漫画、今回初めて読んだのではなく、実は今から25年前の創刊時に読んでいた。
当時同じ会社で働いていた女性の派遣社員Nさんから、突然この漫画を紹介され、借りて読んだのが最初。
Nさんは自分と同じ歳で自分と同じ設計課に派遣された派遣社員で、席も自分の正面に対面するように座っていた。
そのNさんが私に「いもほり」を薦めてきたときのことは今でも良く覚えている。
設計業務の一つに図面上に書かれている資材や機器の個数を数え工事費用の見積もりを算出する「拾い」という作業があり、その作業をNさんに手伝ってもらおうと、会議室で図面を広げ配管の長さを定規で測って私が個数やメーター数を読み上げ、Nさんがそれを紙に記入していた。
私が漏れがないか図面をチェックしていると、暇を持て余したNさんが突然「どんぶらこっこ、すっこっこ、どんぶらこっこ、すっこっこ、キャハハハハ、すっこっこやてぇ」と言って笑い出した。
突然訳のわからないことを言い、笑い出した彼女に驚いた私は「どうしたの?」と聞くとNさんが鞄から「いもほり」を取り出して私に見せた。
呆気にとられてキョトンとしている私に、漫画のページをめくり、「水蛭子さん」のワンシーンを読み上げ再現してくれた。それが先の「どんぶらこっこ、すっこっこ」だった。
漫画の表紙を一眼見て一般的には絶対受け入れられない漫画だと思ったが、私的にはドストライクの漫画だった。
私が面白そうな漫画だと言うと、彼女はその漫画を貸してくれた。
その日、帰りの通勤電車で私は4人がけのボックス席に座り「いもほり」を鞄から取り出し、荒唐無稽でシュールな画風とストーリーに笑いを堪えながら読んでいた。
すると私の目の前に座っていたOLが私と漫画を交互に見ながらまるでシート上に鎮座する汚物でも見るような目で私を眺めていた。さらに満員電車で私の隣の席が空いていたにも関わらず、誰も座ろうとしなかった。
この時「この漫画を読むことは世間ではとっても恥ずかしく、蔑まれる行為なのだ」と言うことを理解した。
翌日、読み終わって「ありがとう、面白い本だったよ。」と言って漫画を彼女に返し、仕事部屋を出て給湯室にある給茶器までお茶を汲みに行った。
お茶を持って席へ戻ると、彼女の机の上においたはずの「いもほり」が私の机の上に投げ返されてあった。
おかしいな?と思いながら「いもほり」を手に取ると
「その本、藤田さんのでしょ?そんなもん私の机に置かないでよね!」とNさんはキツく私に言い放ちながら「いいから私の言うことに合わせなさいよ!」と言いたげな視線を送っていた。
何のことやらよく分からなかったが、取り敢えず彼女に調子を合わせ「ごめんなさい」と言って漫画を鞄にしまった。
後で聞いたら社員さんが机にある漫画を手に取って「この漫画Nさんの?」と聞かれて恥ずかしくなり慌てて「それ藤田さんのです。私のじゃありません。」と言って私の机に投げたそうだ。
その時点でバレバレな気がするが・・・。
Nさんもこの漫画は恥ずかしい部類に入る漫画であると認識していたようだ。そして彼女も誰彼構わずこんなものを薦めているわけではなく、頭のおかしそうな人をちゃんと選んで薦めていたようだった。それがたまたま自分だった。
「いもほり」はそのまま借りることとなり、この年の夏の間はずっと自分のてもとにあり、暇だとそれを読んでいた。
結局、夏休み明けにNさんへ漫画を返す頃には持ち主以上に「いもほり」に精通していた。
それ以降、一度も読んでいない。
それから25年が経ってたまたま寄った下高井戸の古本屋で「いもほり」と再会した。
久々に「いもほり」のページをめくると漫画が放つ毒と作画の無邪気さとの化合物が何とも言えない臭気を今も放っている。
私にはその臭気が笑気ガスのように作用してシュールな笑いを引き起こし、異様な世界観に引きずり込まれてしまう。
それは穴を掘り進めていくうちに見たこともない異形な生き物を掘り当ててしまった時の驚きに近い。
一方、世間一般の人にとってはその臭気はただの悪臭であって嫌悪感しか残らないだろう。
この漫画を読めば自分の心の内奥深く埋まっている異形な「いも」を掘り当てることができるかもしれないが、世の9割以上の人にとってはただの時間の無駄で終わるだろう。
この通り「いもほり」は世間受けしない相当いかれた漫画だ。だがこの漫画に負けじ劣らず、この漫画を薦めて来たNさんも相当強烈なキャラだった。おそらく私が出会った人の中で5本の指に入るほど強烈なキャラだったと言える。
確か98年ごろNさんは派遣の契約が満了して他へ移ることになり、以来会うことはなかった。そして今もどうしているのかわからない。
彼女が辞めてから2年後、私も会社を辞めてカイロプラクティックの学校に通い、あれこれ忙しくしているうちに「いもほり」の事もNさんのことも忘れてしまっていた。
初めて読んでから25年経って「いもほり」と再会し、そのおかげで文字通り芋づる式に思い出す事ができた。
「いもほり」に負けず劣らず強烈なキャラの「Nさん」だから面白エピソードだけでも漫画一冊描けるくらいの量になるだろう。
彼女がこのブログを読んでいる訳ないだろうから、ここで書いてもバレやしないとは思うが、もし読んでいたら「ネタに事欠いて私のことなんて書きやがって!チクショー、藤田のくせに生意気だ!」とクレームを言ってくるかもしれないし、治療院の玄関先に腐った芋とか置かれるかもしれないので、これ以上は書かない。
今頃どんな47歳になっているのか?
当時のまま強烈なキャラなのか?それとも毒気が抜けて苗字も変わって「Nさん」ではない清楚なマダムになっているのか?
どうなっているのやら、とても興味がある。
もしNさんがこのブログを読んでいたら、ネタに使わせてもらいました。ごめんなさい。
それじゃあ
「また会えるるかも、たぶんね。」