1995年1月17日。
前の年に横須賀の設計事務所に就職し、社会人にになって一年目。
仕事の内容にすっかりやる気を失い、俺の仕事はケツで椅子を温めて、給料を恵んでもらう事だと思うようになっていた。
当時の仕事は主に客船から護衛艦まで様々な船の外装から、船の中のタラップなどの装備品に至るまで全ての設計をし、そのための図面をCADで描く事だった。
当時は、嫌々やっていたため年中ミスばかりし、いつも怒られていたが、給料日まで息をひそめることが仕事だと思っていたから自己嫌悪にも卑屈にもならず、誠意のある振りをして謝っていた。
17時に仕事が終わるとタイムカードを押し、歩いて10分程度の距離にあった寝ぐらのアパートへ真っ直ぐ帰った。
いつ無能がバレてクビになってもいいように、飲みにも行かずに毎日、家に帰って古臭いジャズやらを聴きながら本を読んで、日々を食いつぶすように生きていた。
当時の自分は、会社の評価や世間の評判や昇進やマイホームや結婚などなど、あらゆることに興味がなく、やりたい事もなく、ただ就職して金づるがあるだけで、無気力な毎日を送っていた。
1995年の1月17日、朝起きてテレビをつけると神戸で地震が起きたことをニュースで伝えていた。町から煙が立ち上っていたが、そのうち消火されて、すぐに治るだろうと思っていた、その時は。
そのまま会社に出勤し、午前中仕事を終え、近所の汚い中華料理屋「五龍」でタンメンと焼き餃子を食べながら、油まみれのテレビのブラウン管から映し出される、街が燃え、黒煙が捲き上る光景を眺めていた。
それがここ
※五龍は2008年6月ごろ閉店しました。
隣にたまたま社長が座っていたので「また中東で空爆ですか?」と聞いた。
社長は半ばは唖然としながら「バカ、ここは神戸だ、朝テレビで見たときはこんなじゃなかったが、ここまで被害が甚大だとはな、とても日本とは思えない光景だ」といった。
カウンターに座っていた客は皆、箸を止め、そして言葉を失い、油まみれのブラウン管に映し出された、焼けて黒煙をあげる神戸の街を眺めていた。
誰もどうする事も出来ない無力感にことばをなくし、同時に自分たちが被害者だったら、とそれぞれ思いを巡らすが何も考えることができずに呆然としていた。
自分は思い出したように冷めて硬くなった餃子を頬ばり、むしゃむしゃ食べだした。
その音を聞いて皆が我に帰り、それぞれの中華丼やラーメンを大きな音を立てて食べだした。
まるで「何もしてやらないが、俺たちは生きていかなきゃいけないんだ!」と自分に言い聞かせているかのようだった。
皆が何も語らないが、飯をかっ込む音、麺をすする音だけが鳴り響き、生きていることを味わうように、いつも食べている油ぎった料理を黙々と真剣に食べていた。
彼らが出す麺をすする音や飯をかっ込む音は、悲しげでそれでいて力強かった。
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