阪東橋駅から県道21号線に向かって進むと、ピンク色に照らされた風俗店街に、天然物の昭和レトロな店構えと、90歳近いマスターが現役でシェーカーを振っていることで有名パブレストラン「アポロ」がある。
入り口の扉を開け、急な階段を登り切ると、大和の「喫茶フロリダ」の様な昭和レトロな空間が広がる。
私はカウンターの端に座り、ギムレットを注文すると、マスターはマティーニグラスに氷を入れて冷やし、シェーカーにジンとライムジュースとライムを搾り、シェーカーを振る。マスターがシェーカーを振るとカウンター席の客から拍手と共に歓声がわく。マスターは照れくさそうに笑いながらシェーカーを振っていた。
シェーカーを振り終わると、コースターを敷いてその上にマティーニグラスを載せ、出来立てのギムレットをマティーニグラスに注いだ。私はマスターに礼を言い、並々と注がれたギムレットを一口飲んだ。
私にとってギムレットは、故人を偲ぶ時に飲む弔いの酒だ。これは故人を思い出しながらギムレットを飲み、飲み終えたら一切合切忘れるための儀式でもある。
故人は、私の古くからの患者さんのEさん。Eさんは私より5つ年上のシステムエンジニアで、神田の治療院で働いていた2009年頃からの付き合いだった。
初めて施術を担当したその日の夜に、彼は私の事をネットで調べ、私が練習用に作って放置していたホームページを見つけ、そこに載っていたメルアドにメールを送ってきた。
本来なら気持ち悪いから無視するのだが、メールに書かれた質問内容が同業者か医療従事者かと思うほどの専門的で鋭い質問だったので、無視せずにネットや手持ちの書籍を開き、参考文献や資料を添付して返答した。お互いに理屈臭い者同士で馬が合ったのか、それから度々、質問のやり取りが続いた。正直面倒臭かったが、そのやり取りは根拠となる事実を基に論理的に説明する訓練になった。
2011年の震災前に彼は北海道に移住した。それからは顔を合わせるのは帰って来た時に施術をする程度になったが、メールでのやり取りはその後も続いていた。
50を過ぎたあたりから体調を崩す様になり、3年前ぐらいから糖尿病、高血圧、眼底出血と生活習慣病が悪化した。本人は日頃の暴飲暴食と睡眠不足が祟ったと話していたが、どうも会社の激務とストレスが原因のようだった。
彼が務めていた会社は薄給で新人やインターン生を使い倒す相当なブラック企業だったようだ。よく施術中にパワハラ上司や精神崩壊して潰れていくスタッフの事を面白おかしく他人事のように語っていた。実際は、仕事ができるEさんが全てこなし、その尻拭いをしていたようだ。
それから1年もしないうちに、体調不良で病院を訪れ、検査を受けたら肝臓付近に影が見つかり、ステージ1-2程度のガンと判明。即日入院となった。この時期であれば療養に勤めれば十分治療は可能だった。
医学知識もあり、メンタルも強いEさんなら問題ないと楽観視していた。だが、Eさんは病院に行く時間も、病院にかかるだけの金もなかったようだ。実際は病院へも行けずに自己流の健康法で凌いでいたようだ。
それから1年後の昨年9月、過労が祟りとうとう職場で倒れ、病院に搬送された。搬送先の病院でステージ4の胆管癌と診断された。
病床のEさんからメールがあった。メールには現在入院中で病院の廊下も満足に歩けないほど弱っていることと、ガンの三大療法をやらないステージ4のがん患者を受け入れてくれる病院の有無についての質問が書かれていた。
弱っている原因は、おそらく腹水が溜まって心臓や肺の圧迫によるもので、がんの進行から考えると、その状態では助かる見込みは殆どなく、そもそも転院に耐えられるかどうかも怪しい状況だ。私がEさんと同じ状況だったら「安く済ませる葬儀屋を紹介してくれ」と質問していただろう。
Eさんはわたしに奇跡の治療法を求めていたのかもしれないが、残念ながらその手の情報も技術も持ち合わせていなかったし、そもそも時期が遅すぎ、質問する相手を間違えていた。
結局、なるべく苦しまずに死を迎えるように「ホスピス」を紹介する事しか出来なかった。私の考えを察したのか、Eさんからは諦めを滲ませたお礼の返事が返ってきた。
そしてそれから1か月後に短いメールが届いた。そこには横浜の病院への転院し、漢方を中心とした緩和ケアを受けると書いてあった。
それに対して私はありきたりの励ましと、お見舞いに行く旨を伝える事しかできなかった。
それを最後にメールは途絶えた。今年の初めにメールを出しても帰らず、Lineを送っても既読がつく事はなかった。
いつもの事だが、私には物事が破綻してから肝心なことを思い出す性癖があるようだ。
ギムレットを飲んで脳みそが幾分ふやけだした頃、Eさんには、身寄りがおらず、身内と言えるのは、あまり折り合いの良くない叔母さんしかいなかった事を思い出した。
そこで初めて彼がやたらと質問してきた理由が何となく理解できた。
仕事もでき、何事も仕組化して物事を解決する事に長けた筋金入りのシステムエンジニアだったEさん。私に質問などしなくても自分で解決できるだけの脳みそを持っている彼が、しがない一介のカイロプラクターでしかない自分に毎度うざい位に質問してきたのは、得られる回答が目的ではなく、本当は誰かに頼りたかったのかもしれない。
今思えばEさんからの最後の質問は、生きるために奇跡を期待していたというよりは、ただ「死」を前に誰かと話し、繋がりを求めていたのだろう。
彼が求めていたのは「回答」ではなく「応答」だった。死を待つだけの病床で、人だと思って繋がっていた相手がAIボットレベルと知って、彼はさぞがっかりしただろう。残念ながら相談する相手を間違えていた。
応えてやりたいのは山々だが、今となっては、Eさんの命日も墓所もわからない。奇跡的に生きているかもと期待もするが、それはないだろう。恐らく誰にも頼れず、転院を待たずに一人で逝ってしまった。
毎度のことだが、故人に対しては何をしたところで後悔しか残らない。
代わりにギムレットを飲んで弔う事しかできない。
「ギムレットを飲むには早すぎる」
#アポロ #ギムレット