オリンピックは既に、発展途上国を先進国の仲間に入れる力も、いわんや「経済効果」すら期待できないイベントになっている。私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を!その前に壮大な期待外れと痛みを!(Vサイン)「ロンドンオリンピックと現在の英国の元気」より。これを読んで私は大笑いした。結局、東京オリンピックが来てしまう前に中国から「コロナ」を感染され、開催国である日本のみならずオリンピックに参加するはずであった全ての国が大コケした。予想を斜め上いく大コケぶりだった。 そして五輪がコケた後の展開について著者は「あとがき」で以下のように綴っている。
筆者は、現行の「リベラル」が嫌いだ。「意識の高い正義」という、途轍もない普遍性を含む意味に肥大しているからである。
——以下省略——
現行のリベラル、特に「ネトウヨ」に倣って「ネトリベ」とも言うべきゾーンの住人の正義感たるや、本当に、腹の底から恐ろしい。恐ろしいとしか言えない。
(バイデン誰に顔が似ているか(顔が)〜あとがきのさらにあとがき〜)
インターネット、特にSNSは民に万能感を与え、退行させる装置だが、最も恐ろしい正義は、幼稚な正義だからだ。
最後に著者はSNSとスマホによって「ネトリベ」が量産され、民主独裁によるファシスト化が日本で進むことに危機感を抱き、悲壮感を漂わせながらフェードアウトする様に本書を締めくくった。
不安や不満を抱えた民衆は聖書に出てくる悪霊が乗り移った豚のように分かりやすい正義を掲げるカリスマの元へと殺到し、崖から落ちて溺れ死ぬ。
著者はネトリベたちからの被害を避け、未だにガラケーを使い、SNSから身を隠している。
彼は深夜のロイヤルホストからネトリベ達がこぞって崖を目指して真っ逆さまに落ちていく様を腹を抱えて笑いながら眺めるのだろう。